線香花火には、実は関東と関西で違いがあったのを、ご存知ですか?
日本の夏の風物詩と言えば、庭先での線香花火。火玉がパチパチと火花を散らし、最後にはポトリと落ちてしまう…。
その姿と印象的な香りは、どこか切なさをも感じさせます。そんな線香花火ですが、もともとは、関東と関西で素材や作り方に
違いがあったのをご存じでしょうか?
日本で唯一、関東と関西、両方の線香花火を製造している福岡の「筒井時正玩具花火製造所」によれば、線香花火のルーツは関西地方。ワラスボ(干した稲を束ねたもの)の先に火薬をつけ、それを香炉に立てて火をつけて遊んでいたことが始まりとされています。米作りが盛んでワラが豊富にあった関西地方では、ワラスボの先に火薬をつけただけのシンプルな「スボ手牡丹」と呼ばれる線香花火が、300年以上形を変えずに親しまれてきたのだそうです。
そして、この「スボ手牡丹」のワラの部分を紙に代用したのが、紙すきが盛んだった関東の線香花火「長手牡丹」。一般的に日本人がイメージする、紙製のカラフルな持ち手の線香花火です。紙で作ることができるので、スタンダードな線香花火として関東から全国へ広がったといわれています。